生花



「ナタク様、また下界に出陣するって本当?」
「ああ明日には出る。」
「そんな…この間帰ってきたばかりなのにナタク様ばっかりひどい。」
「別にが気にすることじゃないだろ。それに俺がいない方がお前の母親は仕事が楽になるんだ。」
「母のことなんていいんです。それよりナタク様無事に帰ってきて下さいね。」
「今回の妖怪は大したことないらしい。なんか土産持ってきてやるから心配するなよ。」


───ナタク様が元気で早く帰ってきてくれるのが一番のお土産なのに───


そう言いたかった白蓮だけれど恥ずかしくて口には出せず、代わりに無理矢理笑顔を作って頷くとナタクもそれに応えてニッと笑う。
が母親の仕えるナタクと仲良くなってどのくらいの時が経っただろう。
最初は互いの印象は良くなかった。

からすれば同じ年頃だというのに闘神太子であるナタクは偉そうに見えたし、ナタクから見れば自分付きの女官の娘であるもどうせ周りの者たちと同じだろうと思ったからだ。
けれどそれぞれに嫌なことがあって館の裏庭で不貞腐れている時に鉢合わせしてから少しずつ言葉を交わすようになり、今では周りの目を盗んではこっそりと遊んでいる。
本当はみんなの前でも堂々とナタクと会いたいし家族にも一緒に遊んだ話をしたいのだが、家族どころか見知らぬ者たちまで一緒にいる二人を見ると眉を顰めてナタクには近づかないようにと注意する。
一年中桜咲き乱れる宮中だというのに、二人が会うのはいつも誰も来ないゆえに手入れもされていない淋しい裏庭。
しかも何かと忙しいナタクがここに来ることができるのはホンの僅かな時間だけで、今とて遠くから聞こえてきた部下の声にナタクはスッと立ち上がる。

「またな」

と言葉を残して天帝の城へと去っていくナタクの後姿は毅然と歩いていてもひどく細くて後ろからしがみつきたくなる。
闘神太子などという役目を負わされて、勿論その活躍も聞いてはいるけれど、にとってのナタクは自分よりちょっと背が高いだけの普通の男の子なのだ。
うな垂れてしまいそうになる気持ちごと何度も頭を振り、はナタクの無事を祈ってぎゅっと両手を握り合わせた。






翌日、下界へと降りたナタクは当初楽に勝てると思えた異形の獣たちを相手に苦戦を強いられていた。
最近ではどうせナタク一人の仕事だからと偵察や状況分析の報告すらいい加減なことが多い。
今回もどうやらそうだったようで数・大きさ共に報告とはまるで違う敵を相手にナタクは一人で刀を振るう。
名ばかりの親衛隊は当然の如く全員結界の外だ。
何のために戦い、そして討伐を終えて戻る天界に何があるというのだろうと自分の心に問いかけた時、足元の草花が目に映りこんだ。
鮮やかな緑に黄色の花、小さいけれど本物の生命力に輝いて見える。


───そっか、土産持って帰らなきゃな…───


花に重ねての姿が思い浮かんだその一瞬、焦ったような部下の声が遠く聞こえた。

「ナタク様、危ないっ!」

振り向きざまに見えたのは鋭く振り下ろされる獣のツメ、それはナタクの服と共に白い皮膚を切り裂いた。





その後、傷を負いながらもナタクは全ての妖怪を倒し、軍を率いて天界へと引揚げた。
使用人を追い払い一人きりになった自室で袖口から取り出したのは、朦朧とする意識の中でやっとの思いで摘んできた先の草花。
見れば下界では小さな太陽のように見えた黄色の花が今は己の血に汚れて、点々とどす黒いシミがついている。

───不浄───

散々に繰り返されてきた誹りの言葉が頭の中で反響する。
体力にも時間にも余裕がなくて持って帰れたのはこれだけ、けれど血のついた花など贈れるはずもなくナタクはそれを放り捨ててベッドに倒れこんだ。
そして数日後、ようやく目を覚ましたナタクのもとにはいつもの優しいの笑顔があった。

「ナタク様、具合はどう?」
「大した傷じゃない、大丈夫だ。」
「じゃあ一緒に来て下さい。」

いつもなら無理して起きてはダメと怒るのに、今日に限っては無理矢理ナタクを起き上がらせてグイグイと手を引いて館の裏へと歩いていく。
が自分の帰りを楽しみに待っていてくれたと思うとナタクは救われる思いだったが、約束を守れなかったことが後ろめたくて目を逸らしてポツリと呟いた。

「悪いな。土産用意できなかった。」
「え? お土産ならもうもらいましたよ?」

いぶかしむナタクにはホラと裏庭の片隅を指差しニッコリと笑う。
そこには白くホワホワした球のような植物が植えられていた。

「最初黄色かったのにナタク様が眠ってる間に綿みたいに変わったの。種になったみたい。」
「そっか…」


柔らかな綿のボールを指先で撫でてみるとはらりと零れて風に舞う。
驚きで目を瞠った二人は同じ企みに顔を見合わせ、次の瞬間大きく息を吸い込み残りの綿毛に向かって強く息を吹きかける。
裏庭中に雪のように羽のように綿毛が舞い、久しぶりに二人の笑い声が響き渡った。

「芽が出てくるの楽しみ。」

地面にぺたんと座って楽しそうに綿毛を眺める華湖を見ていると、不浄だの何だのと悩んでいたことが嘘のように満ち足りた気持ちになる。
の髪にふわりと降りた綿毛を取ってやり、ナタクはそれにもう一度息を吹きかけ空に飛ばす。

「こんな草でも花が咲いて種になって、また新芽が出るんだな。」

姿を変え、新しく生を育んでいくその力強さにナタクは驚き心打たれていた。
天界では愛でられることのない小さな草花。
天帝の庭にある桜のような気高さも華やかさもないけれどナタクももこの花が大好きになった。
いつの日にか黄色の花で敷き詰められるようになった館裏、そこは二人だけの花園。