色づいた木々の葉も散り始めた公園。 その中にある静かなオープンカフェでは、穏やかな雰囲気にそぐわない言葉の羅列に二人の人間が全く違う反応を示していた。 二重偽装 -face of fake- ───ったく、いつになったら終わるんだ。煩ぇ。─── ───くくく・・・笑い止まんない。あとで皆に教えなきゃ。─── この相反する反応を導き出している女はそんなこととは露知らず、一段と声のトーンを上げてまくし立てる。 「三蔵ったら聞いてるの?!」 「何だ。」 「だから、もうホストなんてやめて。三蔵だって言ってたじゃない、好きでホストになったわけじゃないって。 私だったら三蔵一人くらい養ってあげられるんだから。」 ───楽し〜い。大昔のドラマの撮影みたい。─── 自分の隣のテーブルで繰り広げられる陳腐な会話に耐え切れず、はとうとう肩を振るわせ始めた。 そして恍惚とした表情でベラベラと喋り続ける女の肩越しに、口元を必死で押さえるの姿が三蔵の目に入る。 「チッ、見世物じゃねぇんだよ。」 低く呟いた声はくぐもって、舌打ちだけが目の前の女に届いてしまったようで彼女は目に涙をためて抗議した。 「ひどい、三蔵!私、真剣に話してるのに。」 先程から耳障りだったヒステリックな女の声にとうとう三蔵の怒りが沸点を超える。 「煩ぇんだよ。」 「え?」 まさか自分に向けられた言葉とも思えず女はポカンとして三蔵の顔を見つめた。 「俺が何をしようとてめぇには何の関係もねぇ話だ。だいたい、俺を養う、だと?笑わせるんじゃねぇ。」 「どうして三蔵?今まで私たちうまくやってきたのに。」 「俺がいつそんなこと言った。てめぇが勝手に勘違いして、自分自身でぶち壊したんじゃねぇか。終わりだな。もう店にも来るな。」 縋る余地を与えない冷たい声に女は愕然とする。 そして、声を荒げるカップルの悲惨な別れ話に、さすがに周りのテーブルの客達も気付いてざわめき始めた。 「私諦めないから!」 女は涙声で捨て台詞を吐くとバッグを掴んで走り去っていった。 ───すごいすごーい!こんなの見たの初めて!忘れない内にメールっと。─── 夢中で携帯を操作するの手元に急に影が差した。 「おい、何してやがる。」 見上げた視線の先には隣のテーブルにいたドレスダウンした怪しいダークスーツの男。 しかもけんか別れの直後でかなり気が立っている模様。 「うっ!な、何もしてないですよ!私に何かっ?!」 焦りまくって声が裏返るの手元からあっという間に携帯がひったくられた。 「タイトル『修羅場を目撃\(^o^)/』ほお、面白そうじゃねぇか。」 ピクピクと頬を引き攣らせて笑う顔にの背筋は一気に寒くなった。 「何するんですか!返して!」 「続きは何て打つつもりなんだ。」 「そんなことあなたに関係ないでしょ。」 「大ありだ。てめぇが盗み聞きして笑ったりしやがるから、面倒くせぇことになったじゃねぇか。」 ───別に盗み聞きじゃなくて普通に聞こえてたけど・・・─── そう思ったものの、ホストらしき男相手に事を荒立てるのも怖いと考えたの沈黙を肯定ととったのか、三蔵はニヤリと笑った。 「責任はとってもらうぞ。」 「せ、責任て?」 一瞬、漫画のように港で船に乗せられ売り飛ばされる自分の姿を想像し、はぶるぶると首を振った。 「お前、何て名だ。」 「え?、ですけど・・。」 「、お前には今日から俺の女になってもらう。」 「ええーっ!!」 思いっきり嫌そうに叫ぶに周りの客は振り返り、三蔵の顔は険しさを増す。 「馬鹿か。フリをするだけだ。最近さっきみてぇな勘違いな客が増えてきて、一々切るのも面倒くせぇ。 お前を上客ってことにするから店に通え。」 「な、なんで、私?自分のお客に頼めばいいじゃない。」 「客に頼んだらそいつがまた勘違いするだろうが。大体が同じような考えの奴らばかりなんだからな。」 「そんな言い方ひどいですよ?大体、私クラブ通いするほど裕福じゃないもの。他当たって下さい。」 「お前から金取るほど、困ってねぇよ。これを返して欲しかったら店に来るんだな。」 そう言うと三蔵はの携帯を胸ポケットにしまい、机の上に名刺を置いて立ち去った。 ───ウソでしょ─── とんでもないことになってしまったとはテーブルに突っ伏した。 よりによって携帯を人質に取られてしまってはそのままにしておくわけにもいかない。 ───あーあ、変なことに巻き込まれちゃったな─── 自分にとっては未知の世界であるホストクラブに興味がないというわけではないし、ホストにしては古めかしい名前の 三蔵という男も決して見た目は悪くない。 は店名刺を指で弾きながら、うんうんと唸った。 結局、勝ったのは好奇心。 2、3度行けば解放してもらえるだろうし、無料で接待してもらえるなら悪い話じゃないかも、と考えてのことだった。 そんな風に割り切って店を訪ねたその日、三蔵はたまたま席を外していた。 代わりに応対した二郎神は三蔵からあらかじめ話を聞いていたのか、下にも置かないもてなしをする。 「あの三蔵が特別なお客様だと公言するだけあって様はお綺麗でいらっしゃる。うちの三蔵はきちんと接客しておりますか?」 「うーん、格好はいいですけど、愛想悪いですよね。」 カフェでの会話を思い出しながらが返事をすると、急に二郎神はあたふたと席を立つ。 「悪かったな。」 最悪のタイミングで聞こえてきた声に恐る恐る振り返ると、案の定それは三蔵で二郎神と入れ替わりでドカッと隣に腰掛けた。 ──なんで都合の悪い時ばっかり来るのー?!── また、やらかしてしまったと目を瞑る。 一方、三蔵の顔にはまるで「機嫌が悪い」、と書いてあるようで、とてもお気に入りのお客との逢瀬には見えない。 「えっと、三蔵?そんな顔してたら私がお気に入りに見えないんじゃないかしら?」 「やかましい、もとからこんな顔だ。」 「そっか。うん、そうかもね。ニコニコしてるとこなんて想像できないし。」 「なっ・・・おまえ?!」 勝手に笑顔の三蔵を想像したのか、ぷぷっと噴出したを三蔵はしばし唖然と眺めた。 店に来るどの女達も、少しでも自分から優しくされたい笑った顔が見たいと擦り寄ってくるというのに、はそんな自分を面白がって笑っている。 三蔵は不敵な笑みをうかべて喉の奥をクッと鳴らした。 ───このって女、他の女とは違うみてぇだな。─── が店に通うようになって数日、が上客の振りをしているだけとは知らない他の客や店のメンバー達も三蔵のテーブルを興味津々で見るようになっていた。 何しろ、といる時はあの三蔵が笑っているのだ。 洩れ聞こえる会話は甘いムードというよりは、むしろ三蔵がに振り回されて言い合いしているといった風なのだが、喧嘩するほど・・・の例えもあることだし、 二人の仲は本物なのだろうと周りもすっかり納得していた。 の方も最初は嫌々来ていたのだが、今では三蔵と会うのがすっかり楽しみになっていて携帯のことなど忘れてしまっているくらいだった。 けれど、慣れないクラブ通いは楽しいことばかりではない。 「あなたが三蔵のお気に入り?調子に乗ってるんじゃないわよ。どうせすぐ飽きられて捨てられるんだからね!」 店に向かう道すがらに、時には店のレストルームで、何度もそんなセリフを突きつけられた。 ───別に調子にのってなんてないもの、仕方なく来てるんだから。─── 最初のうちはそう思って痛くも痒くもなかっただったが、何度も言われるうちに段々と悔しいと思うようになってしまっていた。 そんなことが続いたある日、店に向かう前の自分の部屋で、はお気に入りの服に身を包み、メークもいつもより丁寧に仕上げて出かける準備を整えていた。 「うん、大丈夫。これなら他のどんな人にも負けてない。」 そう独り言をいいながらはにっこりしたのだが、鏡に映した自分の姿を見てはっと我に帰る。 ───三蔵の言った通り。これじゃあ私も他の人と同じだ。─── いつの間にか変化していた自分の気持。 そんな気持を受け入れられず、はせっかく綺麗にのせた口紅をぐいっと手の甲でぬぐうと顔を覆ってしゃがみ込んだ。 それから一週間以上過ぎた頃、は沈んだ表情で一人公園の並木道を歩いていた。 木々の向こう側には三蔵と初めて会ったオープンカフェが見えている。 それを目の端でとらえるとは小さく溜息をついた。 ───バカみたい。こんなに苦しくなるなんて・・・。─── 三蔵のことを思い出すのも辛くて、足早に通り過ぎようとするの腕がふいに後ろから掴まれた。 「おい、どういうつもりだ。何で店に来ない?」 「三蔵?!」 驚きながらも手を振り払おうとするだったが、三蔵の瞳に、腕に囚われて身動きすらできない。 「何があった?」 「もうお店には行かないから。携帯もいらない。」 「嫌がらせでもされたのか?」 「違うよ。私自身の問題。同じになりたくなかったから。」 「同じ?何の話だ。」 「三蔵が鬱陶しいと思ってる他のお客さん達と!」 必死でそう口にしたは涙が零れないようにさかんに瞬きしながら顔を背ける。 ───?─── 三蔵は目を見開くと、ほっとしたように息をつき微かに笑みを浮かべた。 「俺にここまでさせておいて他の女と同じだなんて言うんじゃねぇよ。」 「ここまでさせてって何?三蔵?」 「急に来なくなったら連絡取りようがねぇだろうが。何だって俺が毎日こんなとこまで来なきゃなんねぇんだ。」 「じゃあここにいるのって偶然じゃなくって、ずっと来てたの?」 潤んだ瞳を隠すのも忘れて顔を上げたに、三蔵は言葉を失い返事の代わりに掴んでいた腕に力を込めた。 「三蔵、私は・・・」 他の人と違う?三蔵にとって特別?そう聞きたいのだけれど、怖くて聞くことができない。 「ったく、てめぇみたいな女が何人もいたらこっちの身がもたねぇよ。お前一人で十分だ。」 三蔵はそう言うと、そっぽを向いたままでの肩をぐいっと引き寄せ、歩き始めた。 熱くなった二人の頬を冷ます木枯らしが心地いい、そんな二人の冬が始まった。